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人類は「宗教」に勝てるか

町田宗鳳著「人類は“宗教”に勝てるか」読了.

NHK の法然のテキストを読んで, この本でも読んでみようかという気になった. これからも生きていく道しるべの助けになるかなと思って.

どこか, きれいごと, との思いがする. 本人にあって真意を聞いてみたい.

「無神教」というのは, わたしの昔から温めている「利己主義・自分教」というのと似ているところもある. でも, 宗鳳さんの宗教・神は, もっと普遍的で, もっと他者的で, 凡人が目指せるもととは程遠い気がする.

皆がそんな高尚なステージに辿りつけるというのは幻想ではないか. (法然は当然, そう思っていただろう. ). 誰の為の本なのかがわからなかった. 個々の小さい主張には同意できても, 全体の思想については, さっぱりわからない.

ちなみに「利己主義・自分教」というのを中学のころ真剣に考えていた時期があった.

どこか性善説に依拠しているのだが, 人は, 自分が (本当に) 良いと思うことをすればよい, ということ. 「本当に」というのは, 本能的にとか, 心からとかいう感じ.

私がお金をもうけたい, ということが普遍的真実であれば, 他の人も, お金をもうけたいというのが真実である. その多数の真実が同時に成りたつということは, とても信じられない.

ということは, お金をもうけたという満足の裏には, 多くの人の不満足を土台にしているのだろう. そのような満足が, 真の「満足」であるはずがない.

お金を儲けたいというのは, 自分の心からの思いではない. 今まで生きていた間に, 世間から植えつけられた価値観で, (この価値観がどこから普遍的に広まっているかが説明できなかったのだが) 心静かに, 自己の満足について思いはせれば, そうではないという事に辿りつかないだろうか.

だから, 「利己主義・自分教」の人は, そんな事にとらわれることはないのではないか.

という思いだったのだが, 論理の飛躍だらけ, 思いこみだらけで, どう繕っていいのかわからないのだが, 時々思いだす.

生物にとって, 集団として「性善説な行動」と「性悪説な行動」を取ることが, どちらが, 集団にとって正しい選択であるか, シミュレーションで少しはわかるかもしれない.

でも, シミュレーションの時抜けおちた因子が, 本質を表わしている可能性は大で (本質は人知のいたらぬ所にあるかもしれないので), 自由な思考を大事にせねばならない.

論理を越えた所にあるのを「宗教」というのではないか. あらゆる事が理性で捉えられうわけはないのだが, だからといって「宗教」にすべて委ねるわけにもいかない.

「宗教」の役割は最小にして, その「宗教」の部分も各自が構築すべきである.

というのが, 昔の思いだった気がする. 今は, 宗教も, 無宗教も, 酒のかなたに消えてなくなっている.

blog/2009-05-08-人類は_宗教_に勝てるか.txt · 最終更新: 2010-01-29 06:05 by hn
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